宮田人
宮田概論/宮田村の歩み

宮田村の歩み

中央アルプス駒ヶ岳山麓の豊かな環境に恵まれた宮田村では、これまでに70を超える遺跡が発見されており、約1万年前から生活が営まれていたことが明らかになっています。縄文時代に姿を現した巨大集落の跡は中越遺跡と称され、発見された特徴ある土器は中越式と命名されました。

「宮田」という地名は、奈良時代には存在していたと考えられており、平安時代の延喜式や倭名類聚抄という文献に登場します。この時代には、東山道の宮田駅が置かれていたと考えられていますが、その所在地は特定されていません。

室町時代、宮田氏や中越氏などの豪族の存在が明らかになっており、彼らの居城とされる城跡が残っています。両氏は、武田信玄によって滅ぼされたようです。

江戸時代は高遠藩に属し、伊那街道(三州街道)の宮田宿が置かれました。この宿場は、信濃十五宿の一つに数えられ、交通の要衝としてにぎわいました。現在でも往時の雰囲気を感じることができます。なお、江戸時代の天保年間から、奇祭として知られる「祗園祭」が行われるようになったといわれています。

明治時代になると、宮田村と中越村が合併し、現在の宮田村が形づくられました。明治時代から大正時代にかけて製糸業が盛んになりました。 開墾も盛んに行われ、農地も増加していきます。さらに、伊那電車軌道(現在のJR飯田線)の宮田駅が開設されました。そうした発展にともない、商業も繁栄していきました。

第二次世界大戦の際には、宮田村への工場の疎開が進みます。このことが戦後、工業の隆盛につながるきっかけとなりました。

1950年代になって、単独で町制を施行して宮田町となりましたが、合併後に分立することを条件に駒ヶ根市の発足に参加しました。その後、幾多の難局を乗り越えて宮田村として復活し、今日にいたっています。

宮田村境

 

中越遺跡

 

宮田宿

 

リンゴ

2008年12月17日
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