■江戸時代から受け継がれる奇祭
宮田村の祇園祭は、この村の市街地にある津島神社の祭典です。1840(天保11)年頃から盛んになったといわれ、戦時中も休むことなく続けられてきました。毎年、7月の第三土曜日が宵祭、翌日曜日が本祭です。ちなみに、1982(昭和57)年までは、毎年、7月14日が宵祭、翌15日が本祭でしたが、平日の開催を避けるために変更されました。
初日の宵祭には、たくさんの露店がならび、神社とその周辺の商店街(旧国道沿い)がにぎわいます。もちろん、神輿の破壊もこの日に行われます。一方、2日目は関係者だけで、静かに神事が行われており、神社周辺はいつもの風景を取り戻しています。まさに、祭りの後の静けさです。したがって、宮田村の祇園祭は宵祭に見どころが詰まっているのです。
宵祭は、祇園囃子屋台の巡行からはじまります。クライマックスはヒノキでつくられた神輿の破壊ですが、子ども神輿の練り歩きと破壊、煙火大会も行われています。加えて、太鼓の演奏や阿波踊りの練り歩きがあり、この祭に欠かせない出し物として定着しています。
■受け継がれる音色「祇園囃子屋台」
この祭は、祇園囃子屋台が神輿の通る道を清めることからはじまります。屋台を引くのは、村の市街地に住む小学6年生までの女の子です。受け継がれてきた祇園囃子を奏でながら、ゆっくりと巡行していきます。演奏には、男の子や成人も加わっています。なお、巡行の途中で踊りの披露も行われます。
■小さなあばれ神輿「こども神輿」
小学6年生までの男の子がかつぐ神輿です。あばれ神輿と比べると、とてもシンプルな樽神輿です。かつては、商店街の通りごとに子ども神輿が出ていましたが、現在は市街地で暮らす子どもたちが担当しています。練り歩いた後、あばれ神輿と同じように、神社の石段から何度も落として壊します。その破片は、あばれ神輿と同じ御利益があり、かついだ子ども達が持ち帰ります。
■昭和初期からスタート「煙火大会」
あたりが暗くなると、数百発の打ち上げ花火が、宮田村の夜空を彩ります。なお、煙火大会は祭の途中で一旦中断されます。あばれ神輿の破壊が終わると、ナイヤガラや大三国などが点火されます。ちなみに、当ウェブサイトも、打ち上げ花火(5寸2本追い討ち)を寄付しています。
■奇祭の主役「あばれ神輿」
毎年、新しく用意されるヒノキ製の神輿を、成人の男性がかつぎます。非公開の御神体を神輿に乗せ、宮田村の市街地を練り歩きます。休憩の度、御神酒を口にしながら、御岳山という曲を歌います。酔いがまわると進路が定まらず、時折、群衆に突っ込むこともあります。
神社に戻ってくると、御神体を社殿へと降ろし、神輿の破壊がはじまります。神社の石段の上から、神輿を幾度もたたき落とし、真柱一本になるまでバラバラにします。なお、神輿の破片を持ち帰って屋根の上にあげておくと、災難除け、万病除けになると信じられているため、集まった大群衆が破片を奪い合う姿が見られます。
■名脇役「宮田太鼓」と「阿波踊り」
10時間近くつづく宵祭を、宮田太鼓や阿波踊りという名脇役たちが、さらに盛り上げてくれます。神社とその周辺は、地響きのような鳴り物の音でつつまれます。阿波踊りでは、信州宮田連に加え、東京の高円寺連が登場します。
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